バーデン大公国邦有鉄道IVh型蒸気機関車

332 __________

バーデン大公国邦有鉄道IVh型蒸気機関車, by Wikipedia ja.wikipedia.org/wiki?curid=2608403 / CC BY SA 3.0

#ドイツの蒸気機関車
#マッファイ製の蒸気機関車
#1918年製の鉄道車両
#車輪配置4-6-2の機関車
バーデン大公国邦有鉄道IVh型蒸気機関車(バーデンたいこうこくほうゆうてつどうIVhがたじょうききかんしゃ、独: Badische IV h)は、バーデン大公国邦有鉄道の車軸配置2'C1'(パシフィック)の急行用蒸気機関車である。
後にドイツ国営鉄道(ドイツ国鉄)18.3形となった。
20世紀初頭、バーデン大公国邦有鉄道では国内鉄道網整備の推進や輸送需要および列車単位の増大などに対応すべく、隣国バイエルンの首都ミュンヘンに本社工場を置くドイツでも有数の機関車メーカー、J.A.マッファイと協力して高速旅客列車牽引用機関車の新規開発が行われていた。
その過程で1902年には当時最新のフォン・ボーリース(von Borris)式複式機関車4気筒と飽和式煙管ボイラーを組み合わせたテンダー機(軸配置2'B1')であるIId型が完成し、1907年にはドイツ初となる車軸配置2'C1'(パシフィック)とやはり当時最新の技術であったシュミット式過熱装置を採用したIVf型がJ.A.マッファイ社の製造部長であったアントン・ハンメル (Anton Hammel 1857 - 1925)の設計により、完成していた。
特にIVf型は当時最新最強の機関車であり、オーデンヴァルトやシュヴァルツヴァルトなどに急勾配区間を擁するバーデン大公国邦有鉄道の路線条件に適した1,800 mm径の動輪を備え、その主力機関車として大きな成功を収めていた。
だが、この当時のドイツ国内を見渡すと、隣国バイエルンの邦有鉄道をはじめ高速旅客列車牽引用蒸気機関車ではそれより大きな1,870 mmから2,100 mm程度の直径の動輪を備えるのが一般的で、事実バーデン大公国邦有鉄道においても、先行するIId型は2,100 mm径の動輪を備えていた。
そのため、平坦線主体で連続高速運転を強いられるバーデン本線のバーゼル - マンハイム間の運用において、代替対象となるIId型と同様の最高速度での運転を実施するには、このIVf型は小さな動輪径による速度の不足を補うべくシリンダーの往復速度と動輪回転数を引き上げるという対策を採る必要があり、次第に弁装置を中心とする各機構部に故障が多発する状況となっていた。
そこで、バーデン大公国邦有鉄道は1915年にライン川沿いの平坦線での高速運用に適した、IVf型の後継となる新型機関車を再びJ.A.マッファイへ発注、まず以下に示す試作車3両が完成した。
続いて量産車が発注され、2回に分けて以下の17両が製作・納入された。
先行するIId型・IVf型はいずれも当初J.A.マッファイが製作を担当し、バーデン大公国の国内機械産業育成方針から、増備車や量産車は首都に本拠を置く地元機関車メーカー、カールスルーエ機械製造がJ.A.マッファイのライセンスの下で製作する、というパターンを採っていたが、本形式は例外的に20両全車ともJ.A.マッファイが製作・納入している。
なお、本形式量産車が納入された1920年の4月には発注者であるバーデン大公国邦有鉄道がドイツ国営鉄道へ統合されており、本形式量産車の後半製作分はドイツ国営鉄道へ直接納入されている。
基本となったIVf型やバイエルンのS3/6型などと同様、軸配置2'C1'の足回りの上に広火室の過熱式ボイラーを搭載する複式4気筒テンダー機関車である。
前述の通り、動輪は高速運転を実施する必要からIVf型と同じ1,800 mm径ではなく、その前世代の軸配置2'B1'機であるIId型と共通の2,100 mm径とされた。
これによりIVf型の100 km/h運転と同じシリンダー往復速度・動輪回転数で約115 km/hでの運転が可能となった。
だが、動輪の踏面に一方向からブレーキシューを押しつけて摩擦力を発生させる、当時の片押し式踏面ブレーキの技術的な問題から、最高速度は110 km/hに制限されていた。
本形式は複式4気筒機であるが、IVf型などとは異なり、後述するように内側シリンダーと外側シリンダーが直接駆動する動軸が分けられていたことから、各動輪に備わるバランスウェイトの位相がバルブタイミングの差やサイドロッドの位相などを考慮してそれぞれ異なっており、さらに最後部の第3動輪にはほとんどバランスウェイトがない、という特徴的な構成となっている。
本形式はIVf型と同様、一体鋳鋼製シリンダーブロックに4本のシリンダーを備える。
ただし、4つのシリ...

コメント